nishiyyan’s blog

気まぐれに書きたい事を書いています。

西やんの気まぐれ日誌⑳

大きな木
作:シェル・シルヴァスタイン 訳:本田錦一郎
むかし りんごのきが あって かわいいちびっこと なかよし。
まいにち ちびっこは やってきて かんむりを こしらえて おうさまきどり。
ちびっこは きのみきに よじのぼり

えだにぶらさがり りんごをたべる。
きと ちびっこは かくれんぼう。
あそびつかれて こかげで おひるね。
ちびっこは きがだいすき そう とても だいすき。
だから もう うれしかった。
けれども ときは ながれてゆく。
ちびっこは すこし おとなになり きは たいてい ひとりぼっち。
ところがあるひ そのこが ひょっこりきた

ので きは いった。
「さあ ぼうや わたしのみきに おのぼりよ。わたしのえだに ぶらさがり

りんごをおたべ。 こかげで あそび たのしく すごして おゆきよ ぼうや。」
すると そのこは 「ぼくは もう おおきいんだよ きのぼりなんて おかしく
て。

かいものがしてみたい。

だから おかねが ほしいんだ。

おこづかいを くれるかい。」
きは いった 「こまったねえ。わたしに おかねは ないのだよ。あるのは はっぱとりんごだけ。

それじゃ ぼうや わたしのりんごを

もぎとって まちでうったら どうだろう。そうすれば おかねもできて たのしくやれるよ。」
そこで そのこは きによじのぼり りんごを

もぎとり みんなもっていいってしまった。
きは それで うれしかった。
だが それから そのこは ながいあいだ

こなかった きは かなしかった。
ところがあるひ そのこが ひょっこり

もどってきたので うれしさ いっぱい
からだを ふるわせ きはいった
「さあ ぼうや わたしのみきに おのぼりよ

わたしのえだに ぶらさがり たのしくすごして

おゆきよ ぼうや。」
「きのぼりしている ひまはない。」

おとなになった そのこは いった。
「あたたかな いえが ほしい。

およめさんがほしい こどもがほしい

だからいえがいる ぼくに いえを くれるかい。」
きが いった 「わたしには いえはないのだよ

このもりが わたしの いえだから。

だけど わたしの えだをきり いえを たてることは できるはず。

それで たのしく やれるでしょう。」 

 

 

 

 

 

ここからは、私の解釈です。

これは童話です。

でもここには大切な現代人が忘れてしまった!

震える心がありませんか?

優しさに触れたきがしませんか?

そうです!

自然は全く親の愛その物かもしれません。

太陽は優しさもある。

風は厳しさもある。

波は静けさを教えてくれる。

闇は光を求める空間である。

雨は恵みでもある。

自然は全く意味のないことはしない。

貴方も、疲れた時に自然を見つけてみませんか?

 

きっと何かの発見がある。

なーんてね?

 

ではまたね。

下記は内容の解説です。

参考にしてください。

作者 Shel Silverstein

物語の中で、一本の大きな木が、幼少期から老年期に至る少年の成長と日々の悩みを聞き役になってくれました。悩む少年にとって、大きな木は様々な形で支えとなり、彼の悲しみや苦しみを癒やしてあげます。過去に幼い頃の悲しみを抱えた時から、成人期に至るまで、少年と大きな木の友情は深められていくのですが、物語はともに年を重ね、大きな木が自分自身を犠牲にして少年を支えることで幕を閉じます。この本を読むことで、親子の強い絆や成長に伴う悩み、そして愛といった価値観を学ぶことができます。

 


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